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ボランティアを単位制にするべきか [ 科学ニュース Old..]

阪神・淡路大震災はボランティア元年とよく言われている。今回の東日本大震災では
その活躍はよりクローズアップされた。未曽有の震災に対して人は無力であり、被災者に
とってはボランティアの助けは本当にありがたいものだっただろう。若くて体力もあり、
仕事に縛られない大学生がボランティアに行くのは社会からみて有益なことであろう。

実際、下記記事によればボランティアに対して単位認定をする大学もあるようだ。
●<被災地ボランティア>国立大4割が単位認定 本紙調査
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111106-00000035-mai-soci

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 いまボランティアといえば、除染だろうか?

しかし安易に「ボランティアに行くのは偉いから単位をあげよう」でよいのだろうか?
さっと思いつく所で以下のような問題点が挙げられる。

1)どうやって単位認定するのか?
ある学生がボランティアに行ったことをどのように確認するのだろう?
先生が一緒についていくのならば良いが、個人で参加、あるいはNPOなどに
参加の場合、本人がちゃんとボランティアをやったかどうか、誰が判断するのだろう?
NPOといってもピンからキリで、有名な例ではこの夏に「話題」となった大文字焼きの問題。
あれを仕掛けたのは福井のNPOであることをご存知だろうか?ニュースでは京都市と
陸前高田市の話ばかり。厄介な問題が起きると引っ込んでしまうNPOがいるのは事実だ。
●岩手薪、京都「大文字」ならず 坂井NPO提唱の計画中止
 http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/29809.html

2)学生の安全性はどうやって確保するのか?
被災地には危険が伴う。単位認定ということは大学の授業の一環になるわけだが、
誰が学生の安全を保証するのだろう? 大学は息子さん・娘さんをお預かりしている
わけなのだが。

3)ボランティアに伴う他の講義の欠席はどう扱うのか?
私の住む京都あたりから東北地方にボランティアに行こうとすれば、短くても1週間
程度の旅程になるだろう。学期中であれば、学生は通常講義を多数欠席せざるをえない。
そのためのフォローアップはどうするのか? 多数の授業を「公欠」扱いにして、
ボランティア活動を学ぶことが、大学や大学生の主たる責務だろうか?

ちなみにYahooニュースにあるような「自発的・無償行為であるボランティアが単位になる
のに違和感がある」という意見自体はおかしい。たしか教員免許の必要要件である諸実習の
中にはボランティア実習もあったはずだ。また最近は「自主企画」に対して単位をだす制度
もある。Yahooニュースには私の勤める京都大学にはボランティアの単位認定はない、と
されているが、大学院工学研究科には自主企画の単位制度はあるのだ。なので問題は
そこではなく、上記の1~3であると私は考える。

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ここまで読まれた方は、私がまるで大学生のボランティア活動に反対しているように思われる
かもしれないがそうではない。例えば上記3に関しては、夏休みや連休を利用していけば良い。
それは自由に行けるものだし、単位と関係なく行くべきである。私の勤める京都大学は
自学自習をモットーとする大学なのだ。1年休学して海外留学する学部生・大学院生だって
ざらなのである。いわんや短期ボランティア。また単位認定はしていないが、京都大学では
フィールド科学教育研究センター主導で、ボランティア派遣を行なっている。
●京都大学東北復興学生ボランティア募集
 http://www.kais.kyoto-u.ac.jp/japanese/topics/post_57.html

言いたいことはボランティア活動を勧めるか勧めないかは、大学毎・学部毎・研究室毎に
考えれば良いことである。全国の大学で横並びに「ボランティアを単位制」とする必然性
などない。大学は(残念ながら)ボランティア養成所ではないのだ。

逆に言えば、単位をあげなければ学生はボランティアに行かないのか?ということである。
そもそもだが、近年、普通に単位をもらうだけでは大学を卒業できても就職難のケースがある。
課外活動の重要性は学生本人が一番良くわかっている。なのにボランティアを「課内活動」に
してどうするのか?行く学生はいくし、行かない学生はいかない。単位という餌をぶらさげてまで、
大学生をボランティアに狩りだす必然性はあるのだろうか?

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もしボランティアの単位認定にまつわる問題を一挙に解決するとすれば、大学の先生が大学生を
率いてボランティアをすることだろう。そういう意味ではもしもボランティアをこの国にもっと根付かせ
たいのであれば大学教員自身にボランティアをさせる仕組みを作るべきであって、それを「単位」と
いう形で学生に押し付けて「我が大学もやりました」というスタイルとする方が問題ではないか?

ここまで書いてしまうと、「じゃあ、あなたはボランティアに行ったのか?」「ボランティアに行っても
ない人が何を言うか」と言われるかもしれない。私は確かにボランティアに行ってないし、被災地に
入ってもいない。しかし私には私のなすべきことがある。また神戸のことは忘れようもない。
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レイン

この記事を読ませていただいたあとに、今日たまたまある団体の理事会でこのことが話題になりました。
私も被災地に限らずボランティア単位制には違和感があり、反対です。
ボランティアをやりたければ自分で時間を作って、学校の単位とは関係なく行くべきだと思います。
私の出た大学はキリスト教系でしたが、チャペル(学院付属の教会)主催で夏にワークキャンプがあり、参加したことがあります。そこでの体験が、その後の考え方や生き方に大きな影響を与えたことは間違いありません。学業や生業以外のことで汗を流すことを、若いうちにぜひ体験してほしいと思います。
by レイン (2011-11-11 00:15) 

MANTA

>私も被災地に限らずボランティア単位制には違和感があり、反対です。
レインさん、コメントありがとうございます。
私自身は単位制にしても良いとは思うのです。でもその時、大学はなんのために
単位を付与するのか、そのための説明が必要ですし、学生の安全性の確保も
必要です(そういえば、トルコの地震でボランディアの日本人が亡くなりましたね…)

大学のカリキュラムが社会のニーズに適合しているかどうか、それ自体が大きな
話題であり問題でもあるかもしれませんが、高校までの教育のように、ツブ
揃いの教育課程は不要だと私は思っています。
by MANTA (2011-11-13 17:41) 

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